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2013/08/18 14:36:40

日常の確率概念と数学の確率概念は似て非なるもの

私がモンティ・ホール問題や3囚人問題について考えているときに口をついて出た言葉や、インターネットで読んだ人々の考えなどを思い浮かべると、人々の日常的な確率概念が、数学上の確率と似て非なるものであることがわかる。

そういった言葉や考えを集めてみた。

① 扉3 が開けられた後にホストが開け残した扉2 が当りである確率が  1 / 3 から 2 / 3 に変わる

数学の確率論では、扉3 が開けられた後にホストが開け残した扉2 が当りである確率が 2 / 3 であることは、 最初から決まっているので、  この言葉を発した日常の確率概念が数学の確率概念とずいぶん異なっていることがわかる。

② ホストがどの扉を開けたかの情報によって確率が変わる

数学では確率値の差分を元に情報を定義するのであって、情報が確率に影響を与えるようなことは無い。 情報に働きがあるとしたら、複数ある確率のうちのどれを判断材料とするかの選択を変えるだけである。
ところが日常の確率概念では、確率に作用して変化させる要因として情報をとらえらているようだ。

③ ホストが開ける扉が扉2 か扉3 に限定されているので、  どちらか当りの確率 2 / 3 が残った扉に継承される

この文章を読むと、確率がエネルギーか何かのように容器の中にただよっていると、とらえられていることがわかる。

④ ホストが扉を開けて残った扉1 と扉2 のそれぞれが当りである確率の比を 変える要因はない

どの扉が当りかの場合分けと、ホストがどの扉を開けるかの場合分けを組合せて考えないために、このような錯覚に陥ってしまう。

⑤ ホストが開ける扉に選り好みがあると、 条件付確率の答えと非条件付確率の答えが異なって矛盾する

挑戦者が選んだ扉が当りのときに、ホストが残りのどちらを開けるかに偏りがあると、 ホストが開けた扉を特定して求めた条件付確率と、  ホストがハズレ扉を開けることは最初から決まっているとして求めた非条件付確率が異なる.
これは数学の確率概念では当り前のことで、  同じ仮説事象に対して異なる証拠事象を考えているのだから、問題ない。
しかし、日常の確率概念では、同じ問題に異なる答えがあるというようなことは想定外で気味が悪いのだ。

⑥ ホストの行動規則が明示されていないから、  残った扉が当りである確率がどちらも 1 / 2 と考えておかしくない

日常の確率概念には、確率を判断する手がかりがないとき、 起こりうるケースに等しい確率を振り当てて先に進もうとする性質がある。
数学の確率概念なら、手がかりが無ければどうしようもないのだから、大違いである。

⑦ ホストが扉3 を開けたの 扉3 が当りである確率 は 0 である

ホストがハズレの扉3を開いたという表現を読んだとたんに、扉3が当りの確率がゼロになったと考える人が多い。
この私もモンティ・ホール問題について考え始めた初期はそうだった。
しかし数学の確率論では、扉3が当りの確率がゼロだと言う前に、ホストが扉3を開いたという証拠事象で標本空間を絞り込むこと、 言い換えると仮説事象それぞれの確率を事後確率で置き換えることを宣言しなければならない。
このことから、日常の確率概念では新たな現象 (事象ではない) が起きるたびに無 意識に標本空間の切り替えがなされることがわかる。

客観確率幻想

上記の ①~⑤ の言葉を説明する原理として、私は 「客観確率幻想」 なるものを考えている。
これは、日常の確率概念では、標本空間のような抽象的な空間の上に確率が存在するのでなく、 扉のような実体の中に確率がエネルギーか何かのように宿っているという考え方を指す私の造語である。
確率が何かの物理的な実体として存在するのであれば、何かに影響を受けて変化したり、場所を変えたりすることもできそうである。
確率が何かの物理的な実体として存在するのであれば、同時に異なる値をとることは考えられなくなってしまう。



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