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2013/08/18 14:36:32

主観確率を論じたくなるわけ

 このページは 2013/05/18 にも大加筆を行いました。

注:筆者は モンティ・ホール問題に絡めて「主観確率」を論じている人の「心理」に注目しているのであって、 「主観確率」という概念自体に異を唱えているのではないことにご注意されたい。


「主観確率」という概念には次のような不思議さがつきまとっている。

「事後確率」 や 「ベイズ確率」 の意味で 「主観確率」 という用語を使っているだけならそんな用語は不要である。
「主観確率」 にそれ以上の意味があるなら、その意味を数学的に定義する人がいてもよさそうだが、そんな人はいない (・・・と思う) 。

Wikipedia(日本語版)の「主観確率」の記事(2009年1月16日 (金) 03:50版)を見ると、事後確率を主観確率に分類したい人の気持ちがわかるような気がする。
条件付確率の証拠事象から仮説事象への向きが未来から過去に向かっていて気持ち悪いのだろう。

「主観確率」とはこのように不思議な言葉であるが、モンティ・ホール問題に絡めて「主観確率」を論じる人をインターネット上でよく見かける。

モンティ・ホール問題で 「主観確率」 が論じられることが多い理由の説明として、 次のようなものを考えてみた。

客観確率幻想仮説」による説明

最初に、それぞれの扉に賞品が隠されている確率を考える。
本当は、扉1当り、 扉2当り、 扉3当り のそれぞれの「事象」が確率を持つのに
「客観確率幻想」があるため、それぞれの 「扉そのもの」 が確率 1 / 3 を持つように考えてしまう。
モンティ・ホール問題の答えを考えたり教わったりして、 ホストが開け残した扉が当たりである確率が 2 / 3 であることを理解する。
「客観確率幻想」があるため、こんどはホストが開け残した 「扉そのもの」 が確率 2 / 3 を持つと考えてしまう。
ところが、それに矛盾するような現象を発見してしまう。
例えば、モンティ・ホール問題の中のゲーム番組を途中から見始めた人がいて、 ちょうどホストが扉を開けた直後にチャンネルを合わせたのだとしたら、 その人にとって残った2つの扉が当りである確率は等しい。
このような悩みを解消するために、ホストが開け残した「扉」でなく、 確率を考える人の頭の中の「扉」も確率を持つことができると考える。
そして頭の中の「扉」が持つ確率を「主観確率」とよんだりする。
ゲーム番組を最初から見ていた人にとっての確率は、その人の頭の中の 「扉そのもの」 が持っている確率であり、 ゲーム番組を途中から見た人にとっての確率は、その人が見ている 「扉そのもの」 が持っている確率であるので、異なっても不思議でなくなる。


因果関係逆転仮説」による説明

 2013/08/06 に表題を変えました。

最初に、それぞれの扉に賞品が隠されている確率を考える。
扉1当り、 扉2当り、 扉3当り のそれぞれの「事象」が確率 1 / 3 を持つと考える。
モンティ・ホール問題の答えを考えたり教わったりして、 ホストが開け残した扉が当たりである確率が 2 / 3 であることを理解する。
ホストが開け残した扉が当たりである確率が 1 / 3 から 2 / 3 に変わったと考える。
そして、ホストが扉を開けたことが、ホストが開け残した扉が当たりである確率を変えた原因だと考える。
※ 「確率が変わる」 という考え方自体、すでに数学の確率論ではなく、日常の確率論の世界である。
ここで、ホストが開け残した扉の当たりハズレの現象がホストが扉を開ける前に発生していたことを思い出す。
そして、ホストが扉を開けたという現象が過去の現象の確率を変えたと考えてしまう。
※ 確率が付与されるのが 「事象」 であって 「現象」 ではないことを忘れている。
ホストが扉を開けたという 「現象」 が過去の 「現象」 の確率を変えることの気味悪さに気づく。
ホストが開け残した扉が当たりである確率は 「主観確率」 であると考えれば、 因果関係の時間順序を気にしないで済むので気味悪さが薄まる。

余談

モンティ・ホール問題の議論で「主観確率」 という言葉と絡めて 「客観確率」 という言葉も持ち出す人がいる。
こういう人の言う 「客観確率」 とは日常的確率概念で説明できる確率のことであり、「主観確率」 とは数学的確率概念でしか説明できない確率のことなのだろう。



用語解説



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