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標準仮定とは、Wikipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事で導入された用語で、 以下の項目から成っています。
そしてこの標準仮定から外れると、上記の条件付確率の問題としてのとらえ方と、非条件付確率の問題としてのとらえ方で、扉を switch したときに賞品を得る確率が異なることがあります。
挑戦者が選んだ扉がハズレの時にホストが別の扉を開けてくれない条件にすると
条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「switch したときに当りになる確率は 0 である」 となりますが、 非条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「そもそも、 そういうとらえ方はできない」 となります。
挑戦者が選んだ扉が当りの時にホストが開ける扉に偏りがある条件にすると
条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「switch したときに当りになる確率は 1 と 1/ 2 の間のどれかである」 となりますが、 非条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「switch したときに当りになる確率は 2 / 3 である」 となります。
※ホストが開けた扉は特定しない条件付確率の問題としてのとらえ方は、非条件付き確率の問題としてのとらえ方とあまり差がないので割愛します。
条件付確率の問題としてとらえた場合の証拠事象は 「ホストがこれこれの扉を開けた」 という形をとります。
それに対して、非条件付確率の問題としてとらえた場合は、「ゲームが始まった」 ことが証拠事象になります。
次のような例があります。
アメリカの PARADE誌のコラム "Ask Marilyn" での論争 (1990~1991) で、そのコラムのオーナー Marilyn vos Savant が多くの博士たちに勝って モンティ・ホール問題が世界的に有名になり始めた 1991年に、 アメリカの統計数学の論文誌で、Morgan, J. P., Chaganty, N. R., Dahiya, R. C., & Doviak, M. J. (1991). が vos Savant の解 (非条件付確率の解) ではホストが開ける扉に選り好みがあるときの確率を計算できないから誤りだとする議論を展開しました。
次のような例もあります。
Gillman, Leonard (1992). は、 "Ask Marilyn" で論じられた問題文の中で挑戦者が選んだ扉とホストが開けた扉に関する記述を根拠に、 問題文自体が条件付き確率の問題設定になっているので、 vos Savant による非条件付き確率の解は誤りだとしています。
【余談】
このように、条件付確率の解と異なる解になることがあるから非条件付確率の問題としてとらえるのは誤りだとする人がいます。
しかし、ホストが当り扉を開ける可能性がある場合など、非条件付確率の解が存在しないことがあることを理由に、非条件付確率の問題としてとらえるのは誤りだとする人を見たことがありません。
不思議です。
Wikipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事 (20:04, 18 December 2012.の版) の記事全体を通してのトーンは、この態度に近いように、(私には) 感じられます。
【補足】
この部分を 2013/05/31, 2013/06/13 に書き直しました。
Wikipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事 (20:04, 18 December 2012.の版) の "Criticism of the simple solutions" の項の内容が参考になります。
この項では、非条件付き確率の問題として解いたのでは正解にならないという説や、条件付き確率の問題とは別の問題を解いていることになるという説を紹介しています。
標準仮定の下ではどちらのとらえ方でも答えが一致するという説も紹介しています。
この項の最後の方で、 「ホストが必ずハズレの扉を開けるから挑戦者の扉の当たり確率は変わらない」 という説の誤りに触れていますが、 そうした議論は条件付き確率の問題としてのとらえ方に立たないとできません。
どうやら、 条件付き確率の問題としてのとらえ方を基本としつつも、 非条件付き確率の問題としてのとらえ方も 「条件付き」 で成立するというスタンスが、 "Criticism of the simple solutions" の項の基調のようです。
実際、次のように考えると、 モンティ・ホール問題を条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは普通の 「条件付確率」 とは異なることに気付きます。
しかし、 さらに一歩進めて 「事後確率」 は 「主観確率」 と呼ぶべき特殊な確率であるという考え方には、 「事後確率」 の気味悪さから逃れたい気持ちが隠れているように私には思えます。
【補足】
この部分を 2013/05/15 に書き直しました。
ある統計数学に関する辞典に、ベイズ改定 (統計分布の推定をベイズ理論により改良すること) の出発点とする確率を 「主観確率」 と呼ぶというような主旨の記事がありました。(というか、そういう風に私は理解しました)
ということは 「事後確率」 でなく 「事前確率」 の方こそ 「主観確率」 だということになります。
もしかしたら、「事後確率」 が 「主観確率」 だと言う人は、勘違いしているのかも知れません。
事後確率の持っている 「気味悪さ」 が人々を悩ませる原因であるので、この解明は数学というより心理学のテーマかも知れません。
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2013/08/18 14:36:29
高校生にもわかるモンティ・ホール問題
ここでは、モンティ・ホール問題の数学的なとらえ方によって答えが異なることに対する人々の態度について考えます。モンティ・ホール問題の数学的なとらえ方のおさらい
主要なとらえ方には次の3種類があります。条件付確率の問題としてのとらえ方
挑戦者が選んだ扉とホストが選んだ扉を限定して、その中で挑戦者が扉を替えた方が有利かどうかを考えます。ホストが開けた扉は特定しない条件付確率の問題としてのとらえ方
挑戦者が選んだ扉は限定するが、ホストが選んだ扉はどちらでもよいとして、その中で挑戦者が扉を替えた方が有利かどうかを考えます。非条件付確率の問題としてのとらえ方
ホストが扉を開ける前の段階で、将来ホストが扉を開けたら挑戦者はどうしたらよいかを考えます。数学的なとらえ方によって答えが異なるケース
元来、モンティ・ホール問題は、問題を作った人( Steve Selvin という統計数学者) も、 問題を解こうとした人々 (例: PARDE 誌のコラム "Ask Marilyn" で vos Savant が出した答えに反論した数多くの博士たち) も、 次のような 標準仮定 の下で問題を考えています。標準仮定とは、Wikipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事で導入された用語で、 以下の項目から成っています。
- 当たり扉はランダムかつ等確率に設定される
- ホストは挑戦者の選んだ扉を開けない
- ホストは必ず残りの扉を一枚開ける
- ホストはハズレの扉しか開けない
- ホストは挑戦者の選んだ扉が当たりのとき、ハズレ扉をランダムかつ等確率に選んで開ける
- ホストは扉を開けた後に必ずswitchの機会を挑戦者に与える
そしてこの標準仮定から外れると、上記の条件付確率の問題としてのとらえ方と、非条件付確率の問題としてのとらえ方で、扉を switch したときに賞品を得る確率が異なることがあります。
挑戦者が選んだ扉がハズレの時にホストが別の扉を開けてくれない条件にすると
条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「switch したときに当りになる確率は 0 である」 となりますが、 非条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「そもそも、 そういうとらえ方はできない」 となります。
挑戦者が選んだ扉が当りの時にホストが開ける扉に偏りがある条件にすると
条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「switch したときに当りになる確率は 1 と 1/ 2 の間のどれかである」 となりますが、 非条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「switch したときに当りになる確率は 2 / 3 である」 となります。
※ホストが開けた扉は特定しない条件付確率の問題としてのとらえ方は、非条件付き確率の問題としてのとらえ方とあまり差がないので割愛します。
数学的なとらえ方によって答えが異なってしまうことに対する人々の態度
この事態に対して人々がとる態度には次のようなものがあります。問題のとらえ方で答えが異なることを受け入れる態度
モンティ・ホール問題のとらえ方の違いは、証拠事象として選択する事象の違いであるので、問題のとらえ方で答えの確率が異なった値になっても不思議でないとする態度です。条件付確率の問題としてとらえた場合の証拠事象は 「ホストがこれこれの扉を開けた」 という形をとります。
それに対して、非条件付確率の問題としてとらえた場合は、「ゲームが始まった」 ことが証拠事象になります。
条件付確率の解のみ有効だとする態度
矛盾するように感じられる解の片方を葬って、すっきりしようという態度です。次のような例があります。
アメリカの PARADE誌のコラム "Ask Marilyn" での論争 (1990~1991) で、そのコラムのオーナー Marilyn vos Savant が多くの博士たちに勝って モンティ・ホール問題が世界的に有名になり始めた 1991年に、 アメリカの統計数学の論文誌で、Morgan, J. P., Chaganty, N. R., Dahiya, R. C., & Doviak, M. J. (1991). が vos Savant の解 (非条件付確率の解) ではホストが開ける扉に選り好みがあるときの確率を計算できないから誤りだとする議論を展開しました。
-
Morgan, J. P., Chaganty, N. R., Dahiya, R. C., & Doviak, M. J. (1991).
"Let's Make A Deal: The player's dilemma,"
American Statistician 45: 284-287.
次のような例もあります。
Gillman, Leonard (1992). は、 "Ask Marilyn" で論じられた問題文の中で挑戦者が選んだ扉とホストが開けた扉に関する記述を根拠に、 問題文自体が条件付き確率の問題設定になっているので、 vos Savant による非条件付き確率の解は誤りだとしています。
-
Gillman, Leonard (1992).
"The Car and the Goats," American Mathematical Monthly 99: 3-7.
【余談】
このように、条件付確率の解と異なる解になることがあるから非条件付確率の問題としてとらえるのは誤りだとする人がいます。
しかし、ホストが当り扉を開ける可能性がある場合など、非条件付確率の解が存在しないことがあることを理由に、非条件付確率の問題としてとらえるのは誤りだとする人を見たことがありません。
不思議です。
条件付確率の解と非条件付確率の解が一致する条件のもとでは、どちらも有効だとする態度
標準仮定が成立した場合などで両者の解が一致する場合には、どちらのとらえ方も合理的であるとする態度です。Wikipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事 (20:04, 18 December 2012.の版) の記事全体を通してのトーンは、この態度に近いように、(私には) 感じられます。
【補足】
この部分を 2013/05/31, 2013/06/13 に書き直しました。
Wikipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事 (20:04, 18 December 2012.の版) の "Criticism of the simple solutions" の項の内容が参考になります。
この項では、非条件付き確率の問題として解いたのでは正解にならないという説や、条件付き確率の問題とは別の問題を解いていることになるという説を紹介しています。
標準仮定の下ではどちらのとらえ方でも答えが一致するという説も紹介しています。
この項の最後の方で、 「ホストが必ずハズレの扉を開けるから挑戦者の扉の当たり確率は変わらない」 という説の誤りに触れていますが、 そうした議論は条件付き確率の問題としてのとらえ方に立たないとできません。
どうやら、 条件付き確率の問題としてのとらえ方を基本としつつも、 非条件付き確率の問題としてのとらえ方も 「条件付き」 で成立するというスタンスが、 "Criticism of the simple solutions" の項の基調のようです。
事後確率は普通の確率でないから、こういうこともあるとする態度
モンティ・ホール問題を条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは 「事後確率」 と呼ばれるものであって、「事後確率」 は 「主観確率」 と呼ぶべき特殊な確率であるから、、非条件付確率の問題としてとらえた場合と異なる値になってもおかしくないという態度です。実際、次のように考えると、 モンティ・ホール問題を条件付確率の問題としてとらえた場合の答えは普通の 「条件付確率」 とは異なることに気付きます。
当り扉と挑戦者が選んだ扉が定まった条件の下での、ホストがどの扉を開けるかの「条件付確率」は、 標本空間が定まらなくても計算できます。(必要ならホストが開ける扉の好みも計算に入れます)このようなことがあるので、後者を 「事後確率」 として特別視する考え方にも一理あります。
しかし、挑戦者が選んだ扉とホスト開けた扉が定まった条件の下での、どの扉が当りかの 「条件付確率」 は、 標本空間の中の 「挑戦者がこれこれの扉を選び、ホストがこれこれの扉を開けた」 という 条件に該当する範囲が定まらなければ計算できません。
しかし、 さらに一歩進めて 「事後確率」 は 「主観確率」 と呼ぶべき特殊な確率であるという考え方には、 「事後確率」 の気味悪さから逃れたい気持ちが隠れているように私には思えます。
【補足】
この部分を 2013/05/15 に書き直しました。
ある統計数学に関する辞典に、ベイズ改定 (統計分布の推定をベイズ理論により改良すること) の出発点とする確率を 「主観確率」 と呼ぶというような主旨の記事がありました。(というか、そういう風に私は理解しました)
ということは 「事後確率」 でなく 「事前確率」 の方こそ 「主観確率」 だということになります。
もしかしたら、「事後確率」 が 「主観確率」 だと言う人は、勘違いしているのかも知れません。
まとめ
Wiipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事では2012年になってもまだ、この問題に関する既述が更新され続けていることから、この問題が人々を悩ませ続けていることがわかります。事後確率の持っている 「気味悪さ」 が人々を悩ませる原因であるので、この解明は数学というより心理学のテーマかも知れません。
お勧めのページ
Wiipedia(英語版)の "Monty Hall problem" の記事の "Criticism of the simple solutions"の項 (10:41, 27 May 2013 現在)に、 条件付き確率の問題としてとらえないのは間違いなのかどうかに関する、統計数学者など多くの人による議論について書かれていて、参考になります。トップページに戻る