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2013/08/18 14:36:32

ホストによるルール表明の有無を重視したくなるわけ

インターネット上のモンティ・ホール問題の議論を読むと、ホストが挑戦者に事前にルールを伝えているか否かで答えが違ってくると主張する人たちが、少なからずいることに気づきます。

確かに、こういうことを言いたくなる状況も確かにあります。

状況1 挑戦者になったつもりで答えることを求める問題文もある
モンティ・ホール問題を有名にした 世界的モンティ・ホール問題では、冒頭部分で、「あなた」 (Marilyn vos Savant のこと) に、テレビのゲーム番組に出場しているつもりにさせています。そして問題文の最後で、switch した方が 「あなた」 にとって有利か聞いています。

状況2 挑戦者が当たりを選らんだときのルールは明記されていない
世界的モンティ・ホール問題では、挑戦者が選ばなかったハズレの扉のどれかをホストが開けることが明確に表現されていますが、挑戦者が当たりの扉を選んだときにどっちのハズレ扉を開けるか、何も書かれていません。

こういう事情から、標準仮定の中でも特に、等確率開扉の仮定 に目を付けたくなるのも理由が無い分けではありません。

しかし、そのことは 「ホストの言葉としてルールが表明されたか否か」 を重視する理由になりません。
その根拠は次のとおりです。   統計データが重要な局面で、弁護士だったり、研究者だったり、品質管理者だったりしたら、統計データを分析するときに無意識の「自然な仮定」は排除しなければなりません。

それにも拘わらず、モンティ・ホール問題で 「ホストの言葉としてルールが表明されたか否か」 を重視する人が少なくない理由を考えてみました。(心理学の素人仮説にすぎませんが)

客観確率幻想」 仮説による説明

最初に、それぞれの扉に賞品が隠されている確率を考える。
本当は、扉1当り、 扉2当り、 扉3当り のそれぞれの「事象」が確率を持つのに
「客観確率幻想」があるため、それぞれの 「扉そのもの」 が確率 1 / 3 を持つように考えてしまう。
モンティ・ホール問題の答えを考えたり教わったりして、 ホストが開け残した扉が当たりである確率が 2 / 3 であることを理解する。
「客観確率幻想」があるため、こんどはホストが開け残した 「扉そのもの」 が確率 2 / 3 を持つと考えてしまう。
ところが、それに矛盾するような現象を発見してしまう。
例えば、モンティ・ホール問題の中のゲーム番組を途中から見始めた人がいて、 ちょうどホストが扉を開けた直後にチャンネルを合わせたら、 その人にとって残った2つの扉が当りである確率は等しい。
「客観確率幻想」があるため、こんどはホストが開け残した 「扉そのもの」 が確率 1 / 2 を持つと考えてしまって、 矛盾を感じてしまう。 (この矛盾は「客観確率幻想」に陥いらず数学の確率論で確率を考えていれば感じません)
この悩みを解消するために、ホストが開け残した「扉そのもの」でなく、 確率を考える挑戦者の頭の中の「扉そのもの」が持っている確率を考えはじめ、  それらが 1 / 2 以外の確率を持つために、 挑戦者に正確なルールが伝わっていなければならないと考えてしまう。
「ホストの言葉としてルールが表明されたか否か」を重視


ここで述べたことは 主観確率を論じたくなるわけ で述べたことと類似しているので、「ホストによるルール表明の有無を重視したくなる心理」 と 「主観確率を論じたくなる心理」 が親戚だとわかります。



用語解説





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